1946年当時の本社は福島県平市(現いわき市)でした。
現在は茨城県北茨城市に本社を構えます当社ですが、
創業から間もなくの1946年4月、当時は本社を福島県平市(現在のいわき市)に置き、
茨城県多賀郡磯原町(現在の北茨城市磯原町)には「営業所」が置かれました。
当社の歴史・歩みにおいて、福島県を抜きには語ることができない程密接な関係なのです。
1946年当時の本社所在地でありました「平市」は、
江戸時代には磐城平藩が治め、明治維新後の1889年に「平町」となり、
1937年(昭和12)に「平市」となりました。
その「平市」も、新産業都市建設促進法の施行により、
1966年に平市を含め5市3町4村が合併し現在の「いわき市」へと生まれ変わります。
合併後の「いわき市」は、
江戸時代からの城下町として政治、経済、産業、交通の中心地として発展していた「平」、
小名浜港を有し漁業と工業が盛んな「磐城」、
観光業や工業が発展していた「勿来」、
炭鉱と伴に日本の経済成長を支え続けてきた「常磐」と、
とても豊かで地域性に富んだ市となりました。
1951年に本社を現在の北茨城市に移転することになりますが、
創業の想いを育んだ地としての福島県平市(現在のいわき市)は、
今でも当社にとって大切な地域の一つです。
現在のいわき市、年間800万人が観光に訪れます。
現在のいわき市は、
人口約33万人、
そのうち平市が9万3千人で最も住民が多く、
ついで小名浜が8万2千人、
勿来が4万8千人、
常磐が3万3千人となっています。
いわき市の工業の総出荷額約9437億円で、
事業所は542、従事者は約2万4千人、
商業については、総販売額8026億円、
店舗は2724店、従事者は約1万8千人で、
いわき市は工業、商業ともにバランス良く発展している地域といえます。
観光に関しては、コロナ前には、
年間800万人程がいわき市を訪れておりました。
1966年の開業から、幾度もの「危機」を乗り越え「復興」のシンボルともなっております、
『スパリゾートハワイアンズ』の貢献も大きいものがあります。
そして、いわき市の観光といえば、
『環境水族館アクアマリンふくしま』(正式名称は『ふくしま海洋科学館』とのこと)でしょう。
いわき市『環境水族館アクアマリンふくしま』からの眺望
アクアマリンふくしまの開館は2000年7月。
記憶が少しずつ薄らいで来ておりますが、
2011年3月11日の東日本大震災では、4.2メートルの津波が押し寄せ、甚大な被害がでました。
それでも7月15日には営業を再開させるなど、
(スパリゾートハワイアンズも同様に)福島県のみなさんの底力に、私も勇気づけられました。
そして、同年(2011年)8月27日には累計入館者が1000万人を超えるのです。
アクアマリンふくしまには何度も訪れていますが、
私は、アクアマリンふくしまの側面に回り、水族館の奥に広がる工業地帯の景色を眺めるのが好きです。
地域が発展、維持されていくためには、
その地域を支える「産業」が必要です。
地域を支える「産業」には、
第1次産業である農業、漁業、林業だったり、
第2次産業の工業であり、
私たち「商社」も含まれます第3次産業の商業、サービス業、金融業、運輸業などがあります。
当社のような工業(=製造業)で必要とされる商品を提案し、発注し、届ける、
第3次産業に属する会社=商社は、
第1次産業(=農業、漁業)や第2次産業(=工業)の発展・成長なしには、
存続できません。
アクアマリンふくしまの隣には、
小名浜港があり漁業(第1次産業)が盛んである一方、
同じ小名浜港第3・第7埠頭では石炭や鉱物資源が荷揚げされ、
第4埠頭では化学薬品、第5・第6埠頭は国際ターミナルとして、
大剣埠頭では自動車に用いられるなど、
工業地帯(第2次産業)の側面も併せ持ちます。
アクアマリンふくしまからの眺望は、
第1次産業である漁業と、
第2次産業である工業と、
第3次産業である観光業(=水族館)が、
密接に関係しあいながら成立していることを思い起こさせてくれます。
私たちは、第2次産業である工業(=製造業)の成長を支えることで、
地域も、そして私たち自身も成長することができる、
第3次産業に属する「商社」のお仕事です。
環境水族館アクアマリンふくしま
福島県いわき市小名浜辰巳町50
小川産業株式会社 本社
茨城県北茨城市磯原町本町3-1-8
【参考・引用文献】
・「いわき市・市勢要覧(令和4年版)」(2022年)いわき市